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平成30年度「歯の作文」中学校優秀作文

 
歯とアレルギーの関係
新宿区立落合第二中学校
3年 小関 梨沙
 
 落花生、クルミ、アーモンド…。私には小さいころからナッツ類の食物アレルギーがありました。しかし、少し前に試しにアーモンドを食べてみたら…アレルギー反応が出なかったのです!
 どうして大丈夫になったのか、気になっていくつかの文献を調べていくうちに、あることに気づきました。それは、「食物アレルギーのことを書いている歯医者さんが多い」ということです。歯と食物アレルギーには、いったいどのような関係があるのでしょうか。
 文献によると、食物アレルギーの一番の予防方法は、実は「よく噛むこと」でした。そして、食物アレルギーには、主に2パターンあると考えられています。
 一つ目のパターンは、幼児期に発症するパターンです。私はこのパターンで、幼稚園生時代からつい最近まで、ナッツ類を食べられませんでした。小さな子どもは腸の機能が未発達なうえに、噛んでから食べるのが難しいので、アレルギーの原因物質が分解されず、アレルギー反応を起こしてしまうことがとても多いのだそうです。アレルギーの発症率は、乳幼児が9割以上を占めるとのデータもあります。
 二つ目のパターンは、成人してから発症するパターンです。このパターンの原因は、生活習慣、公害、ストレスなどの環境的要因と言われています。しかし、これらもよく噛むことで改善できるとのことでした。
 この二つのパターンからわかるように、「噛むこと」はすばらしいことです。消化しやすくするだけでなく、免疫力を高めることができるのです。よく噛んで食べればアレルギーになりにくくなるうえに、他の病気から自分の体を守ることもできます。
 また、私はナッツ類だけでなく、キウイフルーツにもアレルギーがあるのですが、これにも歯医者さんとの関係があることがわかりました。歯医者さんに行ったとき、問診票でアレルギーについて質問している項目がありましたが、実はフルーツにアレルギー反応がある人は、歯医者さんがつけるゴム手袋にアレルギー反応を起こすことがあるそうです。
 私はまったく気がつかなかったのですが、歯科校医の先生はゴム手袋を使わず、ミラーを一人2本使って検診されていることを、養護の先生が教えてくださいました。衛生面のこともあると思いますが、アレルギーのことも関係しているのかもしれません。
 一度食物アレルギーになってしまうと、私のように十年以上自然に治るのを待つか、もしくは少量ずつ食べてだんだん耐性をつけていくしかありません。治るまでの期間、「ナッツが入っているからダメ」と言われ続けることは、悲しかったし寂しいことでした。しかし、家族も私の気持ちを考え、食事にナッツ類を出すことはなく、私でも安全に食べられるものだけを作ってくれていました。
私は自分が食物アレルギーだったからこそ「噛むことの大切さ」を知りました。そして、噛むことは食物アレルギーを防ぐだけでなく、様々な病気の予防につながることにも気づきました。
 食物アレルギーの予防のために大切なのは、よく噛んで食べること。そして、よく噛むためには健康な歯が必要です。歯医者さんにほめられるような健康な歯でいること、それがこれからも好きなものを食べ続けたい、食べることが大好きな食いしんぼうの私の目標です。
 

「歯と口の安全を守る人」
文京区立茗台中学校
3年 田村 琉依
 
 私は歯科医院に一度しか行ったことがない。何故かというとむし歯になったことがないからだ。
 私は中学一年生で初めて行くまでは歯科医院に対して良い印象を持っていなかった。歯科医院といえばと聞かれていたら「痛い」と答えるだろう。だから毎日、朝と夜にしっかり歯磨きをしていた。むし歯になって痛い治療をしないように。
 だが頑張って歯磨きをしていたのにと悲しく思うことが起こる。あくびをするとき、ご飯を食べるときにガクッと鳴る、元に戻すときもガクッと鳴る。調べてみると顎関節症だと分かった。口は生活しているとき何回も使う、だからとても大変だった。おっくうに開けなければガクッと鳴ってしまう。そして少し痛い。でも「口を開けるとガクッと鳴る」と言っても大きい音ではないので「そうなんだ、大変だね」という感じで分かってもらえないのがしょっちゅうだった。だから、口を大きく開けすぎないように気をつけた。すると、ガクッという音も気にならなくなり、一年経つと普通に口を開けてもガクッという音は鳴らなくなった。
 でも、今度は奥歯に違和感を覚えた。私は奥歯がむし歯になったのではないかと思い、とても怖かった。奥歯は根が深いから神経までいったら治すときにとても痛いと聞いたことがあるからだ。母にみてもらうと歯が生えていると言われた。それを言われると私は安心した。むし歯じゃなかった。歯が生えているときに違和感を感じるのは当たり前だと思った。
 私は風邪をひいてしまった。すると奥歯あたりが腫れてとても痛かった。お腹がすいているのに食べられないのは辛かった。そして、母から「歯医者さんに診てもらおう」と言われた。
 歯科医院に行き、歯医者さんに診てもらった。そのときは、第二臼歯が生えてきていた。だが風邪によって免疫が下がり炎症を起こしていたそうだ。説明を聞いてから薬を炎症しているところにつけてもらった。しかし、それは今までで一番痛いもので驚いた。家までの道中、「だったら行かない方が良かったのではないか」「やっぱり痛い」とずっと思っていた。
 でも歯医者は痛みの原因や顎関節症のことも詳しく説明してくれた。私は歯科医院というものは検査や治療だけをするところだと思っていたが違っていた。あんなに痛かった歯も薬をつけてもらうと気づいたころには腫れは引いていた。
 私は歯科医院に初めて行き、改めて歯は大切だと思った。今回はむし歯ではなかったものの痛い思いをした。このような思いを歯磨きを欠かさないことで防げるものならば努力していきたい。きれいな歯でお年寄りになっても自分の歯で食事をしたい。また、自分の歯を自分で守るという意識が一人一人にあれば、歯科医院はそれをサポートする役割となり、一人一人がきれいな歯で生きることができると思う。
 私は作文の始めに、「歯科医院に対しての印象は痛い」だったと書いた。でも今は違う。口の健康を守ってくれる、警察のようだと思う。私がまだ歯の痛さを知らず、歯科医院に行けていなかったら歯の大切さと共に歯科医院の重要さに気づけていなかっただろう。今はコンビニエンスストアよりも多いといわれる歯科医院。私たちの歯と口の安全を守ろうとしてくれていると思えば今までの私のようなネガティブな印象を与えないのではないか。歯科医院は怖くない。私たちがきれいな歯でいられる味方なのだ。
 

自分に今できることとは
豊島区立巣鴨北中学校
1年 杉本 姫麗
 
 歯磨きを真面目にする意味とはなんだろう。今まで私は歯磨きなんて、めんどうくさいから適当にやっておけばいいと思っていた。だから、歯ブラシで軽く磨いてフロスもしなくて良いと間違った判断をしていた。
 しかし、その考えを覆される出来事が起きた。今まで私は、そのような雑な磨き方をしていても学校で行われていた歯科検診では異常なしだった。だが、私は表の面しか見ていなかった。歯が抜けたときに、抜けた歯をよく見ていると、茶色くくぼんだ穴があった。それを見たときに初めて「むし歯だ。」と絶望した。それは、その後も抜けた歯全てにあった。
 それだけではない。学校で行われる歯磨き指導のとき、私はいつも通りに早く終わらせようと歯ブラシを大きく強く当てて磨いていた。すると講師の先生に「だめよ!そんな磨き方じゃ!」と怒られた。言われた瞬間は私のことかと思うほど何のことかさっぱり分からなかった。講師の方やその後自分で調べたことによると、大きく強く磨くのではなく、細かく優しく磨かないと歯垢(プラーク)は取れないそうだ。また、前歯をしっかり磨けているかのチェックは舌で前歯をなめ、ヌルヌル・ザラザラしていないかを確かめることでできるという。フロスを使うなど、まだまだたくさんの注意点があったが、むし歯があったこと、歯磨きがきちんとできていなかったことへの怒り、悲しさ、恥ずかしさ、憤りなどがバネとなって歯磨きをきちんとしようと本気で思うようになった。
 それからの私は、自分でも驚くほど変わった。自分で調べた情報によると、歯磨きは一日三回短時間で磨くよりも、一日一回ていねいに磨いた方が、歯の汚れを落とすことができるそうだ。しかし、それでは物足りないと思い、より一層、むし歯予防につなげるために、一日三回歯磨きをし、その内の一回は必ずていねいに磨くという目標を立てた。初めはなかなか続かず、忘れてしまう日がたくさんあったが、徐々に意識が高まり、続いていくようになった。そうすると、磨くことがゲーム感覚になり、磨いていることが楽しくなった。以前の私には考えられないような進歩だった。努力したことは歯磨きだけではない。食事についても見直しをした。私は食べることが大好きで一日のうちに三食の他にも昼食と夕食の後に間食をしていた。またそのときはビスケットやアイス、果物など糖分が多いものばかり食べていた。間食や甘いものを食べすぎることは歯にとって良いことではない。そのため、昼食後の間食は二日に一回、夕食後の間食はなしにした。当初はこのようなことが自分にできるかと不安でいっぱいだったが、慣れれば二日間間食しなくてもへっちゃらな日もあった。その後中学校での歯科検診ではいつも通り、異常なしだ。私はその結果が嬉しかった。いつものことだがいつも以上に嬉しく、自らの努力が報われたような気がした。このときはもう全ての歯が生え変わっていたため歯の全体を見ることはできなかったが、今もむし歯はないことを願っている。
歯が入れ歯に変わると、違和感を感じたり、食べ物がおいしく感じなくなったり、ものを噛む力が低下したりと、天然の歯と比べて良いところがない。だから、私は自分の歯で生きていきたい。
 歯磨きを真面目にする意味とはなんだろう。それは何十年後かに年をとったときに、どれだけ自分の歯で毎日健康で楽しく過ごせるかに関わってくる。私はこの作文を読んでいる子どもたちに伝えたい。今、歯磨きをしっかり行わないと、何十年後かに後悔するのは自分であると。今の努力が未来の喜びへと変わる。これからも私は健康な白い歯で、笑顔いっぱいの毎日を過ごしていく。
 

茜色に染まった空
練馬区立中村中学校
2年 山尾 海
 
 私の曽祖父の猫・空そらは、歯の病気だった。
『野良猫だから、しかたなか』
 庭にある空の墓の前で、曽祖父は独り言のようにつぶやいた。
 その歯の病気というのは、どんどん歯が使えなくなっていく病気だったらしい。最後は体重が二分の一ほどになり、おかゆのようなやわらかい物しか食べることができなくなっていたという。ある日、曽祖父が出掛け誰もいなくなった昼、丸まって亡くなっていた。空手の大会が終わって疲れていた私は空を一目見ることもなく寝てしまった。夜、そのことを知った私は墓の前で静かに涙を流した。空の温もり、灰色と白色の毛、青い首輪は私にとって忘れがたい物だった。
 あれから二年。曽祖父は九十一歳になった。今は家の近くの病院に入院している。何歳になっても変わらない、力強い握手に安心した。十二月に、一時年を越せるかどうか危ぶまれた時があったが、その片鱗を少しも見せず笑っていた。「久しぶり、元気?」
『ぴんぴんしとるけん。大丈夫よ。』
 そう言った曽祖父のベッドの横には空の写真が置いてあった。それに気づいたのか、曽祖父は、笑って言った。『九〇年生きてきたけん。失って大切だったと気付いたものはたくさんある。』
 曽祖父は、第二次世界大戦のとき特攻隊で敵の基地に突っこむ二日前に戦争が終わったと言った。長崎に帰ると、そこは一面焼け野原だったそうだ。七〇年前は、こんな未来になるとは予想もしていなかった。曽祖父はぽつりと言った。私は、曽祖父が生きていたから生まれたんだな、と思った。今私が持っている日常、この体は、多大な人の歴史の上に成り立っているのだと、幼い私でも、そう考えずにはいられなかった。
『生き物は、誰だって生きとるときには病にかかる。しかたんなかときも、自業自得のときもある。それを背負いながら、皆生きてるけんね。』
「限りある命を大切にしろってこと?」
 私は数多くの歴史を刻んできたひとみを見つめた。
『海、八〇二〇運動って知ってる?』
 突然の問いに、私は四つの数字の意味を探った。腕をくんでだまってしまった私に、曽祖父は笑って言った。
『八〇二〇運動はな、要するに八〇年まで歯を二〇本保っとけばいいというもんよ。』
「それって、けっこう難しいと思うけど。」
 私がそう言うと、曽祖父は机にあった空の写真を手に取った。
『誰だって生きてるときゃ、食べ物を口から入れる。力強い体、骨をつくるためには歯でかんで飲み込む栄養が大事けん。』
 私は、いつも睡魔と戦いながら歯をみがいていることを思い出した。
「あなたは歯肉炎なんだから、どれだけ眠くても直さないと歯が抜け落ちるわよ。」
 うるさいと思っていた母の言葉はとても大切なことだった。
『空は、病気があっても生き抜いたよ。自分たちは、空の分まで病気せず、あと一〇年は生きる事だと思うね。』
 そう言った曽祖父は今はもう数える程しかない歯を見せて軽快に笑った。いつのまにか茜色に染まった空に、猫の泣き声が響きわたったような気がした。
 
 
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